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「けんで働く為なら、なんでも我慢します。」
ある高校生スタッフの何気ないひと言が、私の価値観を揺さぶりました。
手が止まった、あの夜の一言
「けんで働く為なら、なんでも我慢します。」
この言葉を聞いた瞬間、私の手が止まりました。閉店作業中、まだまだ洗い物が山積みだったあの夜のことです。
一瞬、時間が止まったような感覚でした。ふと彼女を見ると、まっすぐこちらを見つめてる。真顔。でもドヤ顔でもなく、なんかいつも通りの表情。
何気ない会話の中で、ふと出たひと言。だからこそ、「これは本心だな」って感じたんです。
この一言が、ルールの“本質”を突いていた
実はこの言葉を言ったのは、高校生のスタッフ。大人っぽくなってきたけど、まだあどけなさの残る、可愛らしい子です。
でもその一言に、私は強い**「熱量」と「覚悟」**を感じました。そして同時に思ったんです。「この子、これからきっと豊かな人生を送るだろうな」って。
なぜなら──
この言葉には、ルールをどう捉えるかの**“本質”**が込められていたからです。
ルールは“縛る”ものではなく、“支える”もの
うちのお店には、シンプルな社内ルールがあります。
- ネイル禁止
- ピアス・ネックレス禁止
…などなど、誰にでもわかるように、やさしい言葉で書いています。
正直に言うと、開業当初はこういったルールを作りたくなかったんです。
というより、私は「みんなを信じていた」ということです。「みんな、言われなくてもちゃんとやるよね?」そんな“性善説”でやっていけると思っていました。
性善説とは:「言わなくてもわかるよね」「人って、もともと優しいし、ちゃんとしてるよね」という考え方
でも、現実は──そんなに甘くなかった(笑)
曖昧な積み重ねが、静かに空気を変える
ルールを後回しにしていた頃、「まぁ今回はいいか」「これくらいなら大丈夫でしょ?」そんな“曖昧な判断”が何度も積み重なっていきました。
大きなトラブルは起きないけど、少しずつ、確実に“何か”がズレていく感じ。それは、まるで静かなボディーブローのように効いてきます。
- 言ったつもり、伝わったつもりになる
- 「たぶんOKなんじゃない?」という勝手な前例ができる
- そしてある日ふと、「なんか最近、空気が変わってきたな」と違和感だけが残る
これが「曖昧の怖さ」です。
曖昧にしないこと=大事にしてるってこと
だから今は、ちゃんとルールを文章にしています。**シンプルで、誰にでも伝わる言葉で。**そして理由も伝えるようにしています。
「厳しくしたいから」じゃなくて、
**“大事にしたいから、曖昧にしない”**んです。
曖昧な積み重ねは、静かに空気を変えてしまう。明確な対話の積み重ねは、文化を育てていく。
私は今、そう実感しています。
ルールは誰のためにあるのか?
結局、何かトラブルが起きるたびに、都度ルールを作ることに。
大抵の場合、それは【一部の人】のためのものなんですよね。
そして皮肉なことに、そうやってできたルールは、【ちゃんとしてる人】にとってはどんどん窮屈になっていきます。
でも、そんな中であの高校生スタッフの「なんでも我慢します」という言葉。
それは、ルールに対して「仕方なく従う」のではなく、「自分の意思で受け入れている」ってこと。
だからこそ、この一言はルールの本質を突いていたんです。
一番大事なのは、価値観の共有
今までたくさんの人と仕事をしてきました。その中にはメチャクチャ優秀な人もいました。
- 理解力がある人
- 覚えるのが早い人
- 効率的な人
でも私が仕事をするうえで本当に大事だと思ったのは、
「価値観が合う人」と一緒に働くこと。
目的が一緒。つまり、目指す山が一緒という事です。
目指す山頂が同じなら、たとえどのルートで登るか意見が分かれても、話し合いで解決します。
一方で、海に行きたい人と山に行きたい人が話し合ったところで、
「じゃあ真ん中の川にしようぜ!」とは、なかなかなりませんよね(笑)
つまり解決するには、そもそも目指す場所が同じでなければならない。
まとめ:覚悟のある言葉は、人の心を動かす
「けんで働く為なら、なんでも我慢します。」
この言葉は、ただの健気なひと言じゃなくて、
“覚悟”と“優しさ”が詰まった、スタッフからの信頼のサインだったんだと思います。
こういう想いを持った人と一緒に働けるって、本当にありがたいし、誇らしいです。
これからも**「土台のしっかりした店づくり」**を目指して、一緒に成長していけたらなと思っています。